近代日本医学の父、北里柴三郎探訪の旅

皆さん、こんにちは。熊本校の内田仁です。

今年3月に熊本県の北東に位置する、大分県境近くの小国町に行って来ました。目的は、①蕎麦を食す、②温泉に入って蒸し卵を食す、③水源を巡る、そして、④北里柴三郎記念館を訪問する、でした。

豊かな自然に恵まれた阿蘇の伏流水によって育った美味しい蕎麦を食し、温泉に入って地熱を利用した蒸し卵と野菜を食し、南阿蘇の水源で水を汲み、そして今回の一番の目的である、熊本の医学の偉人、北里柴三郎先生についての勉強をしに、記念館を訪れました。

日本が誇る世界的な医学者北里柴三郎は、1853年、総庄屋北里惟信の長男として北里村(現小国町北里)に生まれました。1871年、熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後に内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ1889年の破傷風菌の純粋培養法の確立、1890年の血清療法の発見は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。1914年、自力で北里研究所を創設し、1931年に死去するまで、終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。

諭吉の没後の1917年、諭吉による長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となりました。新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や、赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力しました。

また明治以降、多くの医師会が設立され、一部は反目しあうなどばらばらでしたが、1917年に柴三郎が初代会長となり、全国規模の医師会として大日本医師会が誕生しました。その後1923年に医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたりました。(以上、記念館の資料より)

資料館では、あの黄熱病研究で有名な野口英世先生が亡くなった際の葬儀委員長を務められたことも年表に書いてありました。また、当時使用されていた顕微鏡も展示してあり、医学研究史の一部に触れることができました。

中学の歴史の教科書では、「明治の文化-おもな自然科学者とその業績」の一覧表に載っているだけですが、詳しく知ることで、その人物に対して畏敬の念を抱き、またその人物に関連することも学ぶことができました。医学を志す方をはじめ、皆さんもぜひ訪問されることをお勧めします。

ディック学園 熊本校
お問い合わせ: 0120-598-123

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする