センター現代文を題材に評論を読み解く4つの視点

センター現代文を題材に評論を読み解く4つの視点

みなさん、こんにちは。DIC学園熊本校の小山です。私は国語を専門としていますが、近年多い仕事の中に、国公立大の理系学部進学希望の方で、センター試験対策をお願いしたいというのがあります。そこで、まず近年のセンター試験の傾向を見ていただきたいと思います。

はじめに センター試験での平均点推移

科目名(配点) 2018年度 2017年度 2016年度 2015年度 2014年度
国語(200) 104.68 106.96 129.39 119.22 98.67
数学Ⅰ・A(100) 61.91 61.12. 55.27 61.27 62.08
数学Ⅱ・B(100) 51.07 52.07 47.92 39.31 53.94
数学(ⅠAⅡB合算) 112.98 113.19 103.19 100.58 116.02
英語(筆記)(200) 123.75 123.73 112.43 116.17 118.87
英語(リスニング)(50) 22.67 28.11 30.81 35.39 33.16
英語(200点換算) 117.14 121.47 114.59 121.24 121.62

いかがでしょうか?ここ5年間を見ると、英語との比較では、4年、国語の方が英語より平均点を下回る状況となっておりますし、数学との関係でも、3年は国語の方が数学より平均点が下回っております。受験生の皆さんが、勉強の優先順位をつければ、数学・英語の後に国語ということになるのでしょうが、その優先順位が下位の国語が皆さんの進学先に意外に大きな影響を及ぼしている状況が見てとれます。

この状況を踏まえまして、このブログでは、センター現代文を題材に評論を読み解く4つの視点を提示していきます。少しでもみなさんのご参考になれば幸いです。

〔パターンA〕 抽象→具体→抽象…の構造

評論とは、一言でいえば、自分の意見を発信し、その意見で人を説得するための文章です。例えば

二酸化炭素の排出を抑制しなければならない。(意見=主張)

この一文でも、一応意見は発信されていますが、「なぜ」二酸化炭素の排出を抑制しなければならないのか、そこが明記されていると、説得力が増します。そこで、

二酸化炭素の排出を抑制しなければならない。(意見=主張)

なぜなら、このままの状況では、地球温暖化が加速し、自然環境が悪化し、人類の生存にも関わるからである。(理由)

理由が明記されたことで、意見だけの時と比べますと、説得力が増していますが、しかし、お題目だけ聞かされている感じも正直します。ここに、具体的なデータが加わると、説得力が格段に上がります。

二酸化炭素の排出を抑制しなければならない。(意見=主張)

なぜなら、このままの状況では、地球温暖化が加速し、自然環境が悪化し、人類の生存にも関わるからである。(理由)

例えば、以下に示すデータが、ここ数十年の平均気温の上昇を示しているが、それに伴い~。(具体例)

以上、このままの二酸化炭素の排出ペースが続けば、人類の未来は暗いものとなる。そこで、全地球規模での二酸化炭素の削減を考えるべきである。(意見=主張の再提示)

~の部分に「熱帯性低気圧の発生件数および最大風速の(上昇の)推移」「海水面の上昇」などの具体例が来ることで、読んでいる私たちに、「二酸化炭素の排出を抑制しなければならない。」との筆者の意見=主張が迫真性を持って伝わってきますね。そして、具体例の提示が終わった段階で、再び、意見=主張を提示することで読み手に自分の意見=主張の妥当性を認識してもらおうとするわけです。

ここで、注意して頂きたいことがあります。それは、理由&具体例はあくまで、筆者の意見=主張(上位概念)を読み手により分かりやすく伝えるための補助的機能(下位概念)に過ぎないということです。たしかに、文章のうまい人は、理由の部分だけでも、あるいは具体例の部分だけでも充分に読み応えのある文を書きますので、ついそこだけに目を奪われがちですが、設問に答える時は、意見=主張&理由&具体例のトライアングルを一体的に捉えていく姿勢が必要だということを忘れてはいけません。

では、実例を通して、上記のことを確認していきましょう。

【2000年 本試験 第1問】

~前略~

よく知られているように、音楽を「書き記す」という伝統は、中世後期からルネサンスの記譜法の発明に端を発する。それ以前の音楽は、基本的に口頭伝承に依存したものであったわけだが、合理的な記譜法の発明は、そうした音楽を紙の上に書き留めて保つことを可能にしたのである。そして、ルネサンス期に、そうした記譜法が、更に、ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し得るように改められてゆくにつれて(理由の提示ー小山注)、かつての口頭伝承依存の時代には思いもよらなかったような、A非常に複雑な音楽が可能になってくる―口頭伝承依存期の単旋律(教会などで歌われたメロディーだけの宗教歌ーセンター注)の聖歌に代わって、個々に独立した動きをもついくつもの声部が同時に組み合わされるような、複雑な対位法的(独立した複数の旋律を組み合わせた作曲技法ーセンター注)音楽が、芸術音楽の主体となってゆくのである(傍線部Aの詳細な言い換えであり、筆者の意見=主張ー小山注)。こうした複雑な音楽は、書き記されない限り伝達し得ないというばかりでなく、その作曲そのものも、「書くこと」に依存してはじめて可能になる。それは、一篇の長大な小説や論文を執筆する文筆家の創作過程になぞらえてみればわかりやすいかもしれない。つまり、(以下、具体例=比喩の提示ー小山注)文筆家は、頭の中で自分の作品を完成させてからそれを機械的に文字として書きつけてゆくわけではなく、書きながら考え、推敲を重ねることによって、徐々に自らの作品を実現してゆく。その「書くこと」に依存して意味では、「書くこと」なしには、考えを進めることもできず、したがって、その創作過程は、「書くこと」に依存している、と言えるだろう。このことは、音符を紙に書きつけて作曲してゆく作曲家の

創作過程にも当てはまる。すなわち、音楽が紙に書き記されるようになって以来、作曲という創作行為をも含めた意味で、音楽は「筆記」に依存するようになったのである。そして、筆記によって、作曲家は、音楽の細部から全体構造までにわたって入念な制御を行って、ひとつのまとまりのある音楽作品を仕上げることができる(理由の提示ー小山注)。恐らく、筆記に頼らずとも、完結性のある客体的な存在をもつ音楽作品を実現することは不可能ではないだろうが、筆記によってそれははるかに容易に行われ得るようになる。つまり、近代西洋音楽に広く行き渡っている作品概念は、音楽の筆記的本性によって促進されたものだ、とも言えるわけである。

~後略~

問2 傍線部A「非常に複雑な音楽が可能になってくる」とあるが、音楽を「書き記す」ことで、どうして「非常に複雑な音楽が可能」になるのか。その理由として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

① 書くということは頭の中で自分が考えたことを目に見えるような形にすることであり、それによって、書く人の内面的感情という複雑で表現しにくいものが表現できるようになるから。

② 書くことで、ひとつひとつの音がしっかりと固定化し、それまでは曖昧な記憶に頼りがちであった音楽を、正確に演奏することができるようになるから。

③ 書かれたものを見ることで作曲家は自分の作ろうとする曲を確認し、音の長さや高さなどの細かい違いまで検討しながら、種々の旋律を組み合わせることができるようになるから。

④ 書くことによって、ひとつのまとまりのある音楽を表現することが可能になり、一見無秩序で流動的な音楽を、より秩序だったものへと近づけていくことができるようになるから。

⑤ 書かれた楽譜によって実際の演奏が行われる場合には、個々の指揮者や演奏者たちが、それぞれに独自の解釈を加え、多様な演奏ができるようになるから。

さあ、いかがでしょうか。この設問は親切に「その理由として最も適当なもの」を選べと要求していますので、本文の中にその理由を探しますと、私が赤で強調した箇所が目につきますね。つまり、理由その1「ひとつひとつの音の高さや長さを合理的に正確に示し得る」ようになり、理由その2「筆記によって、作曲家は、音楽の細部から全体構造までにわたって入念な制御」を行えるようになったからですね。さらにダメ押しといえる具体例への言及=文筆家との類似性として創作過程での「書くこと」への依存、これらを全て盛り込んでいる選択肢は③以外にありません。よって正解は③となるわけです。

このパターンAは、評論読解の基本中の基本と言えるものです。是非ともマスターして頂きたいと思います。

〔パターンB〕 対比性の構造

 

 ある一つの物事を考えるときに、それと対となる物事と対比することによって、より物事の本質が捉えやすくなることがよくあります。

例1 2018年、セ・リーグのペナントレースで我が巨人軍は、4年連続で優勝を逃した。原因としては、FAで補強した選手が投打の中心として活躍することを期待されたが、その期待通りの働きができなかったことなどが挙げられる。

この文に、広島カープのことを対比してみます。

例2 2018年、セ・リーグのペナントレースで我が巨人軍は、4年連続で優勝を逃した。原因としては、FAで補強した選手が投打の中心として活躍することを期待されたが、その期待通りの働きができなかったことなどが挙げられる。一方、広島カープは、2016年からのリーグ3連覇を達成した。その原因としては、巨人とは対照的にFA選手を基本的に獲得せず、長期的視点から選手を育成し、その生え抜きの選手が投打に渡り中心選手として充分に活躍したことなどが挙げられる。

どうでしょうか。例1よりも、例2の方が説得力があるなと感じるはずです。FA補強に頼り、優勝を逃し続けている巨人に対して、FA補強に頼らず、生え抜きの選手を鍛えて3連覇を果たした広島。このように対比することで、物事を複眼的に見ることに繋がり、より双方の本質がつかみやすくなるものです。この対比性の構造は当然のことながら、センター評論でも使用されています。今度はその実例を見てみましょう。

【2007年 本試験 第1問】

~前略~

私はそれら日本の芸術家たちに、自分の作品を永遠に残そうという願いが、本当にあったかどうかを疑う。ヨーロッパ流の芸術観では、芸術とは自然を素材にして、それに人工を加えることで完成に達せしめられた永遠的存在なのだから、造型し構成し変容せしめようという意志がきわめて強い。それが芸術家の自負するに足る創造であって、それによって象徴的に、彼等自身が永生への望みを達するのである。

造型意志が極端に弱いのが、日本の芸術である。日本における美の使徒たちに、そのような意志が微弱にしか育たなかったのは、やはり日本人が堅固な石の家にでなく、壊れやすく朽ちやすく燃えやすい木の家に住んでいることに由来しているかもしれない。彼らは自分たちの生のあかしとしての造型物を、後世に残そうなどとは心がけなかった。

たとえば、生花とは造型なのか。たとえそこにいくらかの造型的要素があったとしても、それが生花の生命であり、目標であるのか。馬鹿らしい。彫刻や絵画が永遠の造型を目指しているのに、花というはかない素材で何を造型しうるというのか。一ときの美しさを誇ってたちまち花は散るのである。散るからこそ花は美しく、そこに生きた花の短い命との一期の出会いを愛惜することが出来る。B造型ではなく、花の命を惜しむことが、生花の極意である

~後略~

問3 傍線部B「造型ではなく、花の命を惜しむことが、生花の極意である」とあるが、筆者は、この生花に続けて、茶の湯、連句の例を挙げている。それは「一期の出会い」を踏まえた上で、日本の芸術のどのような点を強調するためか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

① 花の命の短さ、茶の湯の主客の対座、連句の中の発句のもつ十七字という極小の単位などにしぼって、芸術における簡素さを強調するため。

② 生花をともに愛でる場、茶の湯の主客の対座、連句の座のうちの楽しい雰囲気を取り上げて、芸術における人間関係の豊かさを強調するため。

③ 花の短い命、茶の湯の対座、連句を楽しむ時間の短さに注目して、表現された形よりも芸術における刹那性を強調するため。

④ 花の短い命と向き合うことと、茶の湯の対座、仲間で作り合う連句の座とを重ねて、芸術における個の表現意識の弱さを強調するため。

⑤ 生花、茶の湯、連句を、人と物、人と人とが出会う場の価値にかかわらせて、芸術における空間性そのものを強調するため。

設問の文をしっかり読みましょう。設問文には「日本の芸術のどのような点を強調するため」かとありますね。本文から該当箇所を探すと、「ヨーロッパ流の芸術観では、芸術とは自然を素材にして…造型し構成し変容せしめようという意志がきわめて強い」とあるのに対して、「造型意志が極端に弱いのが、日本の芸術」とありますね。パターンBの対比性に着目すると、「造型意志が弱い」のが日本の芸術の特徴という訳です。筆者が強調するとすれば、まさにこの点をおいて他にありません。もうこれだけで、各選択肢の末尾に着目すれば、④の選択肢のみがこのことにズバリ触れており、正解となるわけです。

さらに、ダメを押すと、本文中にも「たとえば」とあり、設問文にも「筆者は、この生花に続けて、茶の湯、連句の例を挙げている」とあるように、この設問は具体例の働きを聞いています。具体例の働きとは何でしたか。そうでした。前に書いたように、「筆者の意見=主張(上位概念)を読み手により分かりやすく伝える」ものでしたね。ここでの筆者の意見=主張が「造型意志が極端に弱いのが、日本の芸術」である以上、当然、ここでの具体例の働きは、この筆者の意見=主張をより分かりやすくするために他ならないのですから、パターンAからアプローチしても、④の選択肢が正解となります。

〔パターンC〕 類似性の構造

例2の文に西武ライオンズのことを付け加えてみます。

例3 2018年、セ・リーグのペナントレースで我が巨人軍は、4年連続で優勝を逃した。原因としては、FAで補強した選手が投打の中心として活躍することを期待されたが、その期待通りの働きができなかったことなどが挙げられる。一方、広島カープは、2016年からのリーグ3連覇を

達成した。その原因としては、巨人とは対照的にFA選手を基本的に獲得せず、長期的視点から選手を育成し、その生え抜きの選手が投打に渡り中心選手として充分に活躍したことなどが挙げられる。

また、パ・リーグの覇者となった西武ライオンズも今シーズン活躍した選手を見ると、このブログ執筆中既に47本のホームランを放っている山川選手や浅川選手など、広島カープと同様に生え抜きの選手が中心選手として充分に活躍したことなどが優勝の大きな原因と言える。

2018年シーズンを振り返れば、セ・パともに、FAなどの大型補強に頼ったチームの成績は振るわず、ドラフトで獲得した生え抜き選手を鍛えてレギュラーにした両チームが好成績を収めた

ことになる。改めて、長期的視点に立ったチーム作りの重要性がクローズアップされたシーズンといえよう。

いかかでしょうか。単に「広島カープが優勝した。西武ライオンズも優勝した」とするより、ここに「両球団ともに、中心選手が生え抜きの選手」という類似性の観点を持ち込むことで、論証に厚みが増していることがお分かりいただけるのではないかと思います。次に、この類似性の構造に着目すべき問題を見てみましょう。

【1999年 本試験 第1問】

~前略~

森に住み、鳥や動物たちと日常的に接し、同じ場所で生活してきた人々には、本来鳥獣に対する「敵愾心」はない。これまで長い間森の中で、人と鳥獣は共存することができたのである。現にカモシカ(国の特別天然記念物ーセンター注)がいても、林業に対する被害を与えていない地域だってある。また多少の被害であれば、それが「林業の宿命」であると「受忍」することだってできる。森に住む人々は、これまでそのようにしてきた。林業は、自然災害や火災、虫害等によって、常に「危険」にさらされていることぐらいは、森に住む人々は百も承知である。

~中略~

森に住み、林業に対して、今、カモシカをめぐる問題について訴えようとしていることは何であろうか。私がこれまで聞いてきたことをまとめれば、それは、次のようだ。

「これまで国は、森林、林業に対して何をしてきてくれたか。特に山に住み、森の環境をつくり、守り続けてきた自分たちに対して、何をしてきてくれたか。それでも自分たちは、営々として森をつくってきた。厳しい自然環境、過酷な労働条件にも耐えて、社会の需(もと)めるものを提供しようとしてきた。それは、耐えることの連続であった。それなのにこの国の経済発展の恩恵を受けること少なく、そればかりか林業をやっていくことさえ困難な状況に追い込まれてきたではないか。今またカモシカにさえ、一方的に耐えよというのか。自分たちの生活の見通しすらたてられない状態で、カモシカの生存の保証を自分たちだけに一方的に押し付けるのか。何故自分たちだけがいつも耐えなければならないのか」

森に住む人々は、鳥もいれば動物もいる中で生活していきたいのである。しかし、生活への不安は、できるだけ取り除かねばならない。動物のために生活を放棄することを、誰も認めてはくれない。

犬嫌いの人はいても、犬を憎悪する人はいまい。しかし、犬が「お犬様(将軍徳川綱吉の時代に発せられた、いわゆる生類憐れみの令を念頭に置いた言い方ーセンター注)」になったとき、人々は、犬を憎悪した。それは、犬に向けられたものではあっても、犬自体に向けられたものではなく、犬を「お犬様」にした理不尽さへの憎悪であった。

今、カモシカを「お犬様」になぞらえる森に住む人々の言葉に、私は抑圧され続けてきた人々の「嘆き」を聞く思いがする。

~後略~

問4  傍線部C「カモシカを『お犬様』になぞらえる」とあるが、森に住む人々はなぜ「カモシカ」を「お犬様」にたとえるのか。その理由の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

① 森を破壊するカモシカは、森に住む人々の生産行為や生活にとって有害で、人々の憎悪の対象となっているから。

② カモシカによる造林木の食害対策が、社会全体で講じられず、森に住む人々の負担になっているから。

③ 種の保全という観点から、カモシカは貴重な種であり、何よりもその保護が緊急の課題となっているから。

④ 森に住む自分たちの生活よりも、カモシカの生存を優先させて、それを強制する社会に憤りを感じているから。

⑤ カモシカは森の住人として、歴史的に人々と共存してきたので、身近な自然として親近感を持っているから。

この問題に答えるポイントとは、設問に明示されているように、「森に住む人々はなぜ『カモシカ』を『お犬様』にたとえるのか」という点です。つまり、「カモシカ」と「お犬様」との類似性に着目する必要があります。筆者はなぜ、唐突とも思われる「お犬様」を持ち出してきたのか。それは、「お犬様」が時の江戸幕府から「生類憐みの令」によって、尊重・保護することを強制されたように、「カモシカ」も国の特別天然記念物として、現在の政府から尊重・保護することを強制されている点にあります。そう考えると、正答にたどり着くのも容易になります。①や②も悪くはないのですが、両者ともに、本文にもある「犬に向けられたものではあっても、犬自体に向けられたものではなく」という観点、つまり、カモシカそれ自体が憎いのではなく、カモシカの生存保証を強制されることへの嘆きという観点が欠落しており、正解とはなり得ません。よって、正解は「強制される」という観点をきちんと盛り込んでいる④となります。

〔パターンD〕 具体例の選択=パターンAのバリエーション

先ほど、評論読解の基本構造として述べました抽象ー具体ー抽象のパターンAにはそのバリエーションとも言える出題があります。それは、筆者の主張・意見を支える具体例として適当なものを選択せよ、というものです。これは、ある意味裏側から、筆者の主張・意見を問う問題なのですが、気をつけるべきポイントがありますので、解説を加えることとします。

【”幻の”2006年 本試験 第1問】

~前略~

しかしその後、「実生活」であるところの「実」と呼ばれるものの根拠が疑われ始めた時、事情は大きく変わったのである。「演劇」の飛翔力を確かめるための前提であった「実生活」が、その安定性を失ったとすれば、当然「演劇」も「実生活」も、それぞれに主であり従であることをやめて、これはあれでなく、あれはこれでないという、単なる関係に過ぎなくなる。「演劇」と「実生活」との間に介在した健康な緊張状態は失われ、それぞれが顔つき合わせてそれぞれを疑い始めたのだといえよう。

近代演劇の写実主義の手法は、「実生活」の確固たる手ざわりに依拠して「演劇」を疑うべく用意されたのだと一般にいわれているが、むしろ、我々が「実生活」の確固たる手ざわりを見失ったからこそ、「演劇」を通じてそれを対象化すべく用意された手法でもあったのである。つまりB「演劇」に依拠して「実生活」を疑うための手法なのである。もちろん、写実主義そのものに問題があったのではない。そうした手法を導入して、「演劇」が「実生活」を、「実生活」が「演劇」を、それぞれに疑わざるを得なくなった、「演劇」と「実生活」との関係の変化が問題なのである。

~後略~

問3 傍線部B「『演劇』に依拠して『実生活』を疑う」とは、どのような状況をさすのか。その具体的な例として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

① 時代劇ではしばしば民衆を虐げる悪代官が登場するが、最後には必ず善玉によって悪は懲らしめられる。そういう劇を見るにつけ、現実の世界では常に善が勝つとは限らないのではないかと思う。

② 夕陽の沈む静かな海岸で恋人に別れを告げる主人公の演技を見た。実際はもっと感情が高ぶるに違いないと思ったとたん、役者の演技の巧拙が気になりだした。

③ 緊迫したドラマの一場面で、役者がいきなり「これからどうなると思いますか」と観客に語りかけた。すると、舞台で演じられた悲劇が作り物にすぎないように思えてきた。

④ 大家族がにぎやかに食卓につく場面で、父親が一家の主としていかにも威厳ある態度で振る舞っていた。舞台を見終わって我が家に帰ったとき、父親とは何なのかと考えさせられた。

⑤ 本来なら大笑いするような演技が予想される場面で、ベテラン俳優がわずかにほほえむだけで絶妙の効果を上げるのを見た。そこで、ふだんの生活でもこの俳優はこういう笑顔をするのかと思った。

さあ、皆さんはどう考えますか。このタイプの問題を解くにあたって注意して頂きたいポイントがあります。それは、解答の根拠についてです。もちろん、「『演劇』に依拠して『実生活』を疑う」に線が引いてある以上、これも解答根拠の一つですが。実はここの部分は要約のしすぎで、ここだけに頼るとうまくいかないという仕掛けになっているのです。つまり、もっと信頼できる解答根拠を探すのがポイントなのです。

具体例選択

こちらのアプローチは危険→傍線部 不十分な解答根拠

こちらのアプローチが王道→傍線部以外に必ずある十分な説明付きの解答根拠

本問においては、傍線Bの前の「近代演劇の写実主義の手法~『演劇』を通じてそれを対象化すべく用意された手法」がもっと信頼できる解答根拠ということになります。つまり、(1) 演劇を見て、自分(≠俳優、=観客)の実生活のことを鑑みるという要素と、(2)その「演劇」は、「近代演劇の写実主義」である要素が重要となります。

すると、(1)の要素を満たしていない②「役者の演技の巧拙が気になりだした」・③「舞台で演じられた悲劇が作り物にすぎないように思えてきた」という2つの選択肢は除外されることになります。また、実生活は実生活でも、「俳優」の実生活について述べている選択肢⑤も除外されます。

残るのは、①「現実の世界では常に善が勝つとは限らない」と④「舞台を見終わって我が家に帰ったとき、父親とは何なのか」とになります。ともに実生活を鑑みています。では、どう絞るのでしょうか。ここで、(2)の要素である演劇が「近代演劇の写実主義」に関するものであることに注意することがあります。すると、選択肢①が、時代劇という点がこれを満たしていないことは明らかですね。よって、残った選択肢④が正答ということになります。

以上、センター評論を攻略するのに必須の4パターンをご紹介しました。ご存じの通り、2020年度からセンター試験は「大学入学共通テスト」と名称のみならず、その内容も大きく変わることになります。しかし、文系志望の方で、二次試験に国語がある方などは、やはり、これらの評論の読解パターンに熟知することは、試験に受かることだけではなく、入学後においても必須のツールとなるはずです。この拙稿がそんな皆さんの手助けが少しでもできるものとなっていれば幸いです。

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