古文入門 古文が苦手な方へのおススメ本

みなさん、こんにちは。ディック学園熊本校の小山英光です。

私は主に国語を担当していますが、そこでよく受けるご相談の一つに「古文が苦手です。単語も文法もそれなりにやったのですが、実際の文章を読むと今一つピンと来ないのです。なにか良い解決策はないでしょうか」というものがあります。また、「文章中に挿入されている和歌がどうにも分からず、点数が伸びません」というものもあります。

これらのご相談に対して私は「伊勢物語」を読むことを勧めております。その理由としては、①「源氏物語」と比較すると、一段が短く内容をつかみやすいこと。②歌物語だけあって、各話には必ず和歌がついており、本文と関連させて和歌を解釈する良い訓練となること、が挙げられます。

数多くある「伊勢物語」本の中で私が強くお勧めするのが、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス・日本の古典シリーズの坂口由美子編「伊勢物語」(2007年)です。これは現代語訳→原文→寸評という構成をとっていることから、内容を把握しやすいことと、編者が高校の教壇に立っている方ということもあって、大学入試を控えた高校生が読んで役に立つ的確な解説がなされていることなどが、入門書としては最適な書とだからです。

○助動詞「らむ」と「めり」との違い

~当時の結婚事情をも合わせて~

今回はこの本の中から、能「井筒」のもととなった第二十三段・筒井筒を取り上げたいと思います。訳と解説は上記坂口由美子編「伊勢物語」に多くを依っています。

◇話のあらすじ

田舎を回って仕事をしていた人の子どもたちが、大人になって男も女もお互いに会うのを恥じらうようになります。しかし男はぜひともこの女を妻にと思い、女もこの男こそ自分の夫にと思い続け、やがて二人は結ばれます。

しかし、何年か経つうちに女の親がなくなり、経済的に頼るところがなくなり、貧しくなってしまいます。男は「女と一緒にこんなみずぼらしい暮らしをしていられようか、そんなのは嫌だなあと思って」、別の女のもとに通い出してしまいます。

中古(平安初期まで)はいわゆる一夫多妻制かつ妻問婚で、夫婦は同居せず、妻のもとに夫が通うという形式でした。また、財産の方も母系相続で娘(妻)が相続するため、男としても富裕な家の娘と結婚することが経済的な後ろ盾も得て、出世の糸口もつかめるということで、財産のある女と結婚してしまったのです。

元の妻からすれば、嫌なことに違いないはずなのに、夫を気持ちよく送り出してくれることに、夫の方が不審を抱き、前栽(せんざいと呼びます。庭の植え込みのこと)に隠れて妻を見張っていた時、妻が詠んだ歌が

風吹けば 沖つ白浪 たつ田山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ

意味:風が吹くと沖の白波がたつという、そのたつた(竜田)の山を暗い夜中に一人で越えているのでしょうか。

という歌だったのです。

この「らむ」という助動詞は目の前に見えていない現在の事態に対しての話し手の推量を表す助動詞であると説明されます。家にいる妻には、山越えをする夫の姿を目視するのは不可能ですね。よって「らむ」という助動詞が使われているのです。

一方、「めり」は上一段活用の「見る」の連用形「み」にラ変「あり」のついた「みあり」が詰まって「めり」となったとされています。本来「見ることあり」ですので、眼前に見える現象や事態を視覚的に表現する助動詞なのです。例えば、古今和歌集に

竜田川 もみぢ乱れて 流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ

意味:竜田川に紅葉が散り乱れて流れているようだ。もしこの川を渡ったならば、紅葉の錦が途中で切れてしまうだろうか。

という歌がありますが、この作者は実際に竜田川の川面に紅葉が流れているのを目視しているため、「めり」が使われているのです。

文法用語で言うと、現在推量の「らむ」、視覚推定の「めり」と味気ない表現となってしまいますが、歌でその使用例を確認してみると、この両者の違いがよく分かりますね。最後に山上憶良の和歌をご紹介します。空所に「らむ」「めり」のどちらを入れるべきか考えてみてください。

問:山上憶良(作者)が宴の場から辞去し、帰宅するための挨拶の歌。

憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣く(   ) それその母も 我(わ)を待つ(    )ぞ

※解答 作者は宴の場にいて、家の中を目視することができないのだから、二つとも「らむ」を入れる。

以上です。次回も「伊勢物語」の歌から助動詞の理解を深めたいと思います。

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